論ずるに値しない。

論ずるに値しない文章を毎日書く。内容は読んだ本や今まで考えてきたことがメイン。

ブロックごとに書くことが多産の道かもしれない

  私のように趣味で論文や論考を書く人間にとって書くことはそれほど苦ではない。一番の苦痛となるのは「書くべきモノ」と「書きたいモノ」の区別である。趣味にいきる人間にとって書く対象そのものに思い入れがあるためこの区別を付けないで書き出すと論文としてのまとまりを失ってしまう。まとまりを失った論証は単文の集合体になり、読みにくくそしてそのものの意味自体も希釈化してしまうのだ。
 今回はいかにこのような事態を回避するのかをまとめたいと思う。

 まず書き出す
 なんといっても書き出すことが一番最初のステップである。これはどの論文でも同じだが、書くと決めた以上書き始めないと意味がない。しかし、書き出す先はテキストエディタでもワードでもない。カードに書くのである。
 今回書く分野の取り上げるべき事項を一枚一枚カードを作成する。参照した文献のページ、署名なども併せてカード化する。
 カード化することによって論文以前の書くに当たっての構成要素が目の前に現出するのである。このような手法をを梅棹先生は知的生産の技術において「こざね」と読んでいるが私は「ユニット」や「パーツ」と読んでいる。呼び分けているのは「こざね」ほどはっきりとした方向性を出したカードが登場しないし。「こざね」のように文章をならべるのではなく「要素となる単文、単語」を書き出しているためである。
 過去に何度もカード化することの利点を書いてきたがカード化の良さは一度立ち止まってカードを繰ることによって新たな発想や抜けを発見することができることである。

 構成する
 ここまでできたら構成は簡単である。一般的なお作法に従ってユニットを並び変えるのである。並び替えが完了したら文章の整合性をとれるように接続詞などを使いひとつの文章に仕立てあげる。この段階で「書きたいもの」と「書かなければならないもの」のきりわけは自動的に完了している。論文とは論旨をサポートするデータや記述を必要十分盛り込むことで完成するものであり、それが書かなければならないもので論旨からはずれるモノは自分にとって「書きたいモノ」となるためである。

 このやり方のキモは一番骨の折れる執筆作業において思考する必要性を極力排除することにある。思考する段階は構成までですませれば書くときに考えるのは論理構造や主張の妥当性などではなく文章的な整合性のみである。文章単位での並び替えも最近はアウトラインエディタやemacsのorg-modeで容易に可能になってきている。
 また、データ収集が未了の場合であってもユニットごとに書き進めていけば最後の結合部分までの待ち時間も少なくスムーズに進む。いいことばかりなのである。

 一番の問題は論文が肥大化するにあたってカードの分量が増えることによる整理や構成の時間が増えることなのであるが・・・


以上