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論ずるに値しない。

論ずるに値しない文章を毎日書く。内容は読んだ本や今まで考えてきたことがメイン。

再び常体と敬体について考える

考察

 久しぶりにピンズドな記事を見つけたので紹介する。
http://nogutyo.hatenablog.com/entry/2014/11/11/073540
常体と敬体に関する記事で,結論は常体のほうが意見が伝わりやすい!と書きながら敬体に
終始しとるやんけというなんとも説得力のない記事ではあるがいいたいことはよくわかる。

 常体と敬体については以前も取り上げたとおり非常に意識して使い分けているつもりである。
このブログについてはよほどのことがない限り常体で構成された文章を投稿している。
 では,常体と敬体はなぜ使い分ける必要があるのか。
常体は頭の中での思考する言語の様式であり,断定的,率直,シンプルである。
ややもすれば冷たいと感じられるかもしれないが余計なレトリックがないために一読しやすい。
シンプルとは究極の洗練であるとダヴィンチは語ったようであるが,文章の中で洗練されたものの大半が
常体で書かれたものである。(文語体も同様である)
 敬体は丁寧で何かを敬意を払って表現するのに向いている文体であると考えるが何かをオブラートに包んだ表現で判然としない
ものも多くある。

 文章は意思を表示するものであるとするならば敬体のような表現方法は本来邪道であるし,敬体はよそ向けの文体であると考える。
そして,このブログは主張する場所であってよそいきの客を相手にするものではない。
 つまり,余計なレトリックは抜きにして考えていることをぶつけたいのであるから敬体はつかわないのである。

 現代日本のウェブ上であえて文語調を使う輩もいるがこれは言語道断である。敬体よりもタチの悪い部類だと考えている。
ネットユーザーが見たいのは表現でなく情報なのだ。円滑な情報にていねいさはノイズなのである。