幸福の最大化と不快の最小化
人生において最大の目標とはなにかと考えたときに「誰よりも幸福でありたい」と考えるのは当たり前であると思う。もちろん幸福であるというのは、様々な手段や様々な目的を達成することによって幸福であると認識しようとするのが一般的だろう。例えば
- 目見麗しい配偶者を得る
- その上で才能ある我が子を得る
- 楽隠居を早い段階で決めこんで往生する
というようなものは幸福の最大化した結果でかつ社会的認知も高いものであろう。しかし自分はこの幸福の最大化する生き方を志向していないことに気がついた。
不快の最小化という生き方
自分にとって人生の指針は「不快の最小化」である。これは何かというと「不快と思うおよそすべてのものを可能な限り排除しよう」とする考え方である。そのため、私はまず、なにが不快に思うのかを考えた。
少なくとも自分にとっては以下のことが不快に感じるということを認識した。
- 他人に気を遣う、気を遣わざるを得ないこと
- 善意が義務化すること
- 意に沿わぬことを強要されること
これらが不快に思う3大要因である。(少なくとは私にとって)
これらを避けるためには以下の方策が考えられる。
- 極力他人と関わらないこと(関わるとしても深く関わりすぎない)
- 善意が義務化しないようにやらなくていいことはやらない、やるとしてもそうならないように必ず条件をつける
- 意に沿わぬことを強要された場合なるべく早くその場所から離れる
ということを行うことによって不快の最小化に努める必要がある。
思うに、幸福の最大化とはこれらの不快になる要因すらも引き受けて幸福であろうとする生き方であり、それを成し遂げるためにはある程度の我慢が必要なのだと思う。
自分にとっては他人より幸福であるために不快を引き受けるつもりは毛頭ないため、この生き方とは相容れない。できる限り一人で生きていくのが自分にとっての不快の最小化であり、幸福の最大化であるのである。
つまり、とてつもなく面倒くさい生き方でかつ、孤独な生き方を己に強いているという形になるが、仕方ない。
だって楽なんだもん