論ずるに値しない。

論ずるに値しない文章を毎日書く。内容は読んだ本や今まで考えてきたことがメイン。

* カズオ・イシグロの本を二冊読んだ

 いうまでもなく今年のノーベル文学賞受賞者ですが,これまではおじさん向けというかそういうイメージの主題が多くて敬遠していたのでいい機会だと思い,読んでみることにした。読んでみた結果,なるほどこれは年長者あるいはある程度の規模の仕事をやり遂げた人が読むと印象に残る作品群だなと考えるに至った。
** 読んだ本その1「日のなごり」
おそらくカズオ・イシグロの本で一番有名で人気があるのはこれじゃないかと思う。
WWI~IIの間に英国貴族の執事として使えた男の半生の振り返りとこれからについてを描いた作品だが,執事がもう戻ってこない華やかなりしあの時とプロ意識の高さで成し遂げた仕事の話,その仕事と主人が変わって仕事ぶりを評価されなくなった時代
とのギャップやそういうものを突然得た休暇旅行中に思い出していいく…… というのがあらすじ。
古き良き時代の回顧だといえばそれまでだが,これまで誇りを持っていた仕事が失われつつある状況と,成し遂げた大きな仕事を胸に
生きていくことを余儀なくされ,最後は肯定的にとらえていくさまは同じ状況にいると思い込んでいる人にとっては非常に「刺さる」作品だなと
思った。 自分はそのような輝かしい仕事における業績もないし,今後もそれは得られないだろうと思っているのでそういう一時代は今後の人生を縛ることもありうるが
今後の人生の支えになることも知っているので羨ましく感じた。

 

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

 

 


** 読んだ本その2「わたしを離さないで」
ある全寮制の学校にいる少年少女は学校生活を通じて成長していくがその学校には違う目的があった。という話なのだが
要は「あらかじめ短命であることを知った人間がどのように生きていくのか」っていう話であるように感じた,自暴自棄になって死ににいく人もいれば
それを拒んで生きていこうとする者,いずれとおもっているがその日が来ない人とさまざまいるが,生きていけるという希望を得たあとにそれを叩き潰すかのように
その希望が否定され,その後の人生をどう生きていくかというのはけっこうさっぱりかかれていて,正直この本のヤマがどこだったのかはわからなかった。
おそらくは臓器移植のための身体であるということを告げられるところなのだろうが,そこよりも「それを束の間でもあるが回避できるかもしれない」
という希望により前向きに生きていく場面とそれを完全に否定されたあとの受容と否定というのが盛り上がる場所だったように思うが,残念ながら当初から
前提となる設定を知っていたので存分に楽しめることができなかった。

 

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 

 


** 2つの本の共通点
ところで,この2つを読んでいたときに既視感を覚えた。「前に読んだことがある」というものである。
これについて,少し考えてみたので珍説奇説を述べたいと思う。
*** 物語の始まりの時点はその後の物語を終えたあと
はじまりはだいたい「今やっている仕事が一区切りついたから少し休もうと思うんだが」ではじまる。
そこから仕事ないし生活の半生記みたいなものが大鏡のように始まっていくのであるが,この書き出しの時点で
「移行の話は過去のものである」状態にある。
*** 思い出話の入れ子構造
次に思い出話の入れ子構造であるということである。「こういうことがあってそのときこういうことをおもった」→次の目的地について当地の人間と話してっまた
違いことを思い出した→ というのが続いていく。
これによって主人公の半生を効果的に,そして美化された形で表すことができる。効果的だけど2つも同じ構成をたてつづけに読んだのでいささか退屈に感じた。
その他何故か異性と屋根裏ないし奥まった部屋で毎晩ココアを飲んでその日のことを語り合う日課などもあった。
人間の優しさの裏にあるどす黒い何かがえがかれてたというよりも,過ぎ去った出来事とどう向き合って己の中で処理をして先へ向かうかという
生き方を提示した二冊だったなという感想を持った。おもしろいおもしろくないではなく,まだ自分に過去を振り返られるだけ大人になりきれていないし,
それを肴に楽しく慣れるほどの余裕もないだけであると思ってうがった見方をしただけにすぎない。
読んで何かを考えるのは間違いないと思うので読んでみて損はないように思う。 以上