パくることの是非
どうやら有名ブロガーの人が「人のコンテンツパクって上等だろ、成人の日だぞ」(AKYS)みたいなことを言っているので
アクセス数欲しさに中途半端にかみつく。
そもそもパクリとはなにかぱくりとは、大きな口をあけてものを食べるさまを示す言葉。転じて盗むという意味にも用いられている。(wikipedia)
とされ、いわゆる丸パクリがこれにあたるだろう。
ではどういうパクリが許されてどういうパクリはだめなのだろうか。
許容される場合の共通点はやはり出典を明示していることだろう。ようするにここからネタを引用しましたよ、ということを表示されていればたいがいは許されるように
感じる。
一方で全くダメなのはその逆と丸パクリである。要はコンテンツ作成者の労力をまったくかえりみない態度がいけないのである。
模倣とパクリは表裏一体であるがパクリはパクる側になにも作業がないので発展性がない。パクリを容認するということはその周辺において発展することを放棄することを
意味する。より生産的で意味のある社会になるためにはパクリを容認する態度は許してはならないのである。
そしてコンテンツを作成することということは楽をすることとはもっとも離れたことなので、横着してはならないのである。
ああ、おれも人気になってパクっても上等だろといいたいですなあ(皮肉)