論ずるに値しない。

論ずるに値しない文章を毎日書く。内容は読んだ本や今まで考えてきたことがメイン。

信頼出来ない日本製品

 こんなことを書くと非国民なんだといわれそうですが、自分は日本製品を信頼していません。あんなものは高いくせに自分の求めるもの(思考を妨げない、愛着を持てる)モノが少ないと感じており、むしろ値段の低い、いわば使い捨て可能な中国などの製品の法が割り切れていいと思っています。

 

・一般的な日本製品の印象と私の考え

 高品質

 この意味を工場出荷時点でかなり厳密な品質管理を行っているため品質が高いと思ってる方が多いと思います。しかし、この意味はあくまで規格外(品質チェック基準に満たないもの)を出荷しないというだけではないかと考えています。肝心な製品の性能を語られることは日常生活では滅多にないのではないでしょうか。

 

 歩留まりが低い

 歩留まりとは不良品発生率のことです。歩留まりが低い=製品が良いという観点は同意しかねます。歩留まりが低いことを良しとするのはあくまで生産者側で使用者が考慮することではありません。せいぜい不良品を交換する手間が省けるぐらいでしょう。

 安心・安全

 MADE IN JAPANと書いてあるからといって製品を構成する部品がすべて二本で制作されているかどうかは怪しいです。(これは自分の邪推かもしれません)ただ、昨今の不正表示問題をみるに日本製という三語をもって安心するのは危険であると考えたほうが妥当だと思います。

 保証体制が万全

 そういはいってもこれは製品の保証期間中だけの問題でいざ壊れたり不調がみられたため修理を依頼すると修理費の方がかかってしまい、メーカー側から買い換えを勧められるというのはよく聞く話です。はじめからそういわれることが予見できるモノに関してはなおさら高い日本製を買う意味がうすいでしょう。

 60点主義

 そんな小さくまとまったモノを使って楽しいか。

 多機能主義

 そんなにたくさんあっても必要とするモノはそんなに多くありません。前述の60点主義の思想からもわかるとおり一通りできたといっても込み入ったことはできません。それなら安いのを買って必要ならその部分だけ買いました方がましなんじゃないかと思います。

 

・自分が信頼するモノの条件

 何か突出してすばらしいものがある

 すべて一通りこなせるものよりも機能は少ないけれども一つの機能がものすごく優秀という「尖った」製品の方が信頼できます。そしてそういう向き不向きがはっきりしたもののほうがロマンがあるし、使い分けるときの切り替えがスムーズです。

 手入れをすれば長く使える

 革製品や機械式時計などは定期的にメンテナンスやオーバーホールを行えば少なくとも自分が生きている間は使うことができます。自分はこういうモノの手入れがすごく好きなのと、手入れの仕方によって個個人に一番「馴染む」ものに育つというのはモノを使う上で大きな魅力でしょう。

 部品の保管期間が長い

 どんなものもいつかは必ず壊れる。そういう念頭でモノを買う上で考えるのは保証期間よりも当該部品のメーカー生産・保管期間です。一般的な製品では10年ですが、舶来品においては永年保証や保管機関が切れたり在庫がなくなっても依頼があれば部品を一から作ってでも修理をするというメーカーがあります。(日本でも製品によってはあるでしょう)長くモノを使うにはそういう姿勢や実績も商品価値の一つだと考えています。

 もっとも日本のメーカーは海外の老舗と個なり創業が最近の企業が多いのでこれを比較するのは酷かもしれません。

 

 以上長々と日本製品を否定してきましたが、一つだけ日本製品を信頼している分野があります。それは文房具です。

 文房具は日本の強みである歩留まりの低さや厳密な工場出荷時の品質管理が直接製品に反映される分野だと思います。残念ながらそのほかの製品は信頼できないモノが多いです。地産地消すべきなのでしょうが、自分の普段使うモノに関してはやはり信頼できるモノで固めたいのが人情。もう少し自分の舶来品信仰は続きそうです。

 

 以上