論ずるに値しない。

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神の代理人読了

神の代理人読了

 塩野七生著「神の代理人」を読んだ。初期の氏の本なのであるが、「ローマ人の物語」でさえ主観が強いという意見のあるがこの本は主観もあるし創作もあるしでなかなかアクの強い本であったが、世界史未履修の自分としてはとっかかりとして非常におもしろい読み物であった.

神の代理人とは

 ローマ教皇のこと。ローマ教皇は神と人をつなぐ天界の鍵をもっているとされており、教皇はいわば神の代理人である、という論理からそのようにいわれている(らしい)

本書で取り上げられている時代 

 いわゆる「ルネッサンス」期の教皇でかつしくじっている三人の教皇についてかかれている。

しくじりかた三者三様

  • 自分で十字軍の総大将となるも兵員が集まらず集結予定地で志半ばで果てる
  • イタリアの統一及び外国人の干渉をとめるために兵を集めるが、結局は大国から兵隊を借りたためにさらなる混乱を招き、そのことを悟りながらも時すでに遅し
  • 文化振興のために巨額の金銭を投じるが、それがやりすぎたために財政が破綻寸前になる
    と、裏付けなく野心を抱くと成功するどころかさらなる混乱を招くだけ、というなんとも悲しい結果しかもたらさないということを描こうとしている。

善意のどうしようもなさ

 とはいえ、これらの行動も「キリスト教世界の救済」であったり「イタリア統一」であったりと「善意」から起こしたものであるからしてタチが悪い。
 「地獄への道は善意によって舗装されている」という言葉があるように社会が崩壊に向かうときは必ず身の丈に合わぬ「善意」がその発起点であることが往々にしてあることであり、それは本書に限らず歴史が証明している。
 日本ではしばしば「戦前」と「戦後」で歴史的断絶があり、「戦前」の状況下は「戦後」では現出しないと皆無意識に認識している。(例外は事故の主張を実現するためにいたずらに軍部の暴走をとりあげるときのみである)
 しかし、日本においては戦前も大衆の善意によって天皇機関説を廃棄したり、満州事変による朝鮮総督が予備兵を出兵したり、国際協調を一人の全権大使が破棄した上に連盟を独断で脱退することを決めたことを追認したりと行ってきており、現代においても実現はしないものの同様の事象が多々見受けられる。
 重要なのは「歴史」に学び、現在の状況を分析することであり、社会状況に置いて類例のない状況というものはほとんど存在しない。
 そして「善意」の暴走が破滅的な結果を起こすことは幾度も実証されている。それを我々は知らないだけだ。
 本書は「善意」からの破滅を取り上げた本であるように私は思えてならない。