論ずるに値しない。

論ずるに値しない文章を毎日書く。内容は読んだ本や今まで考えてきたことがメイン。

お正月小説のすすめ

 中学生の自分,太宰のやりすぎで小説の類が読めなくなった自分であるが(思い出すだに恥ずかしい),勤め人になってからは
努めて正月休みにはせめて一冊でも小説を読もうと決意している。休職に伴って中断もはさんでしまったが今なお続く
習慣として非常に楽しみにしている時期でもある。(もともと小説は嫌いではないのだ)
 ちなみに今年は思うところあってディケンズの「デイビット・カッパ―フィールド」を読んだのだが来年は古典SFを読もうかと思っている。
古典をなぜ意識するのかは先日触れたところではあるがなぜSFなのかというと今非常にSF軽視の風潮がどうにも納得いかないためであり,一種の
反抗である。
 そもそもSFは夢と希望ばかりを描いたものではない。「こんなことあったらいいよね」「こんなことあったらこわいよね」という話から
「そのまま書くといろいろと問題だから未来のお話として書くね」というものまであってひとくくりにできるものではない。サイエンティフィックな
描写があると思えば精神世界に入り込んだ作品もある。ほんとうになんでもありなのであり,そこがまたおもしろい。
 SFの話は詳しい先人がおおぜいいらっしゃるのでそちらに譲るとして来年のお正月小説は小松左京である。
小松左京といえば「日本沈没」や「果てしなき流れの果に」と連想しがちであるがここは「日本アパッチ族」と「復活の日」を読みたい。
アパッチ族日本国憲法が改正され死刑がなくなったかわりに失業したら永久追放されるという一種のディストピアな世界観から始まる小説である。
小松左京の奥様が日中暇なのを不憫に思って書き下ろした話だというが話が重すぎるように感じる)
復活の日」はもし凶悪なウイルスが世界に伝播したらどうなるかというおはなしである。
 この二つお話の筋からして面白いうえに現在の情勢に似すぎている。そういうところが非常に面白いと感じて来年はコミケの在庫に埋もれながら
楽しみたいと思っている。(ちなみに今年最後に買った紙の本は筒井康孝の虚構船団でした)