論ずるに値しない。

論ずるに値しない文章を毎日書く。内容は読んだ本や今まで考えてきたことがメイン。

いっそのこと思いきり変更した報道を各社にやらせるという方式はどうだろう

 報道の公平さを求める政党が出てきたようだ。
これを報道に対する圧力ととるのも構わないがそもそも公平さってなんだと考え込んでしまう。
大辞林によると「公平」とはかたよることなく,すべてを同等に扱う・こと(さま)。主観を交えない・こと(さま)。
であるらしい。これってすごく難しいんじゃないか?
 公平を求める人間というのは決まっている。ある特定の方向へ意見・政策を偏らせろと主張しているだけなのではないか。
多種多様な教育を受けてきた個人が集まればそれこそ公平というベクトルはより分かりにくくなる。それは当然だ。みんな違うんだもの。
 ・もういっそのこと
 思いっきり主観的なことを報道するのを認めたらどうだろう。この場合いかに偏るかは事前に宣言させ,さもこれが正しいとは言わせない。
そうなってしまえばどの情報を受け取るかは受け手の裁量にゆだねられる。このような取捨選択をさせればみんな幸せになると思う。
 もちろん判断を放棄している人間にはこの世の地獄だろうが,詐欺師のような巧みな手口で「公平である」と言いつつ偏りがみられるよりも
健全なのではないかと思う。