論ずるに値しない。

論ずるに値しない文章を毎日書く。内容は読んだ本や今まで考えてきたことがメイン。

俺は何をしたいんだ問題

 うつ病を患ってから「おれは何がしたいんだ」と自問する日々が続いている。
サブカル鬱の人と同じようにいままで楽しかったものが急にその楽しさを失い,つまらないものに見える。
そういうことが発病してからずっと続いている。仕事ができない(できなかった)ことよりも,味覚を感じなかったり楽しさを見出せなくなる方がつらいのである。
 うつ病の話がしたいわけではない。俺は何がしたいのかがわからない日々の話をしたい。好きだったものに急速に興味がそがれ,何も楽しくなくなってくると
「おれはなんでこんなので楽しいと思っていたのか」という気持ちと「生きていて楽しいのか」という気持ちが頭をもたげてくる。逃避することは無意味である。
逃避行動そのものにも空虚なものに感じるからである。
 この状態まで追い込まれると死ぬという未知の体験がひどく魅惑的なオプションに見えてくるのである。死ねばなにか楽しいことがあるんじゃないか。
この苦しい煩悶から逃れられるのではないかという希望を見出してしまうのである。うつ病がなおりかけが危ないといわれるのは本当のどん底のときは
死ぬ気力すらわかないのだが,なおってくると死ぬための気力が残ってしまうためである。今現在も死ぬという魅惑的なオプションは否定しきれずにいる。
仕事も(精神的に)苦しいし,楽しみもない。楽しみがあったとしても共有できる仲間も遊びもないし,時間もない。要するに隠居したいのかと思えば
種銭がない。このループを40年近く続けていくことに自信が持てないのだ。そして仕事を一通り終えて帰りの電車に乗っているときにはたと気づくのである。
「俺はこの先何がしたいのかわからない」という現実に。