文章に対する考えかた
最近仕事でわかりやすい文書を書くように心がけている。
以前の自分は多少複雑でもわかるひとがこれだけ読めば大丈夫という書き方をしていた。
もちろん今でもその書き方が間違っていないと思うし、理想とするのはここである。わかりやすい文章というのは
わからない人からしたらどんなに丁寧に書いてもわからないということがおこる得るのでそこまで親切にする必要はないと考えているためである。
どんなにわかりやすく書いても読んでなかったら意味がない。これは仕事で通知文を出すときにいつも思うことである。
読んでもいないのに怒っている人や読んでもいないのに読んだと言い張る人もいる。こういう人と関わりあうとどうしても無力感にさいなまれるし、
いくらわかりやすく書いていても読まない人は読まない。そこにはいかなる文章も射程が届かないのである。
難しい文章とは文章構造が複雑ないしめちゃくちゃで読みにくい文章のことであるとわたしは考えている。
「情報量」の多い文章は難しいのではなく一読だけでは処理しきれない文章名だけであって文章構造がはっきりしていればわかるし、ここにすべてが
書かれていることもわかるはずである。
以上のことからわたしはわかりやすさよりも情報量の多い文章構造が簡明な文章を理想としている。
ブログでもそうである。情報量が多く文章構造が簡単であれば繰り返し読んでもらえる。自分もそこに振り返れば当時のことを思い出せる。
まさに理想的なのであるが、これまでは記述が平易であることに傾斜しすぎていたかもしれない。