論ずるに値しない。

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寛容さを失う日本とその住民

 新たに就任した法務大臣がさっそく香ばしい発言をしたとのこと。

曰く「治安のためには犯罪者の人権なんて知るかよ上等だろ(AKYS)」「ムスリムだけ豚肉抜きのメシ食うの逆差別だと思うんですけど(名推理)」

といった具合である。

 早速ネット上では「法務」大臣ですよね?といった発言も見られるがこれは法律云々ではなく文化を相対的にみることのできぬ日本の風土特有の問題である。

そもそも文化相対主義とは自文化を優越的な視点で見ることなく相対的な視点で他文化と比較することをおおまかにさすのであるが、この考えは東洋の文化を知るために

フィールドワークに出た西洋の大陸系文化人類学者が編み出したものであり、極東の島国たる日本には到達しないのもまあ仕方ないかなと思うところもある。

 しかし、インターネットや航空機の発展により急速に世界が縮小した今日本もまた多文化共生という道を歩まざるをえない。つまり、井戸の底を見るとき

井戸の底もこちらをみているということを常に意識せねばならないのである。

 翻って法務大臣の発言であるが非常に「自分」というものに比重を置いた考え方の持ち主なのであろう。しかし、世界は自分だけで存在しているのではない。

犯罪者の人権を尊重するのも自分が犯罪者にまかり間違ってなってしまったとしても最低限身分保障されるためだし、ムスリムだけ豚肉抜きのメシを食う権利を認めるのも

自分が異国の地で死ぬときだって死に方や弔われ方を選べるという権利を得る、いわば自分のためでもあるのだ。

 つまり、寛容であればあるほど自分にその寛容さは反射してくるのである。このような一件を見るにつけ日本はどんどん寛容さがない、ケツの穴の小さな国、国民になってしまったなと思うのである。