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論ずるに値しない。

論ずるに値しない文章を毎日書く。内容は読んだ本や今まで考えてきたことがメイン。

エスペラント語に現在ぼくが感じていること

 エスペラント語というのを聞いたことがあるだろうか。
1880年代にザメンホフという医者が作った人工言語であり、世界共通語を狙って開発、普及された言語である。
戦前、戦後にわたり日本にも普及したのであるが人工言語ということから母語話者が少ない、国民に浸透しきっていない
一部の小説好きが興味を持って習得したというなんとも日本的には間口が狭い言語の一つになってしまっている。
これが、自分が中学生のころ(2000年代初頭)の状況であった。

 最近本格的に語学を習得しようと思い、英語を始めたのであるがもう一つの習得したい言語であるドイツ語に少々行き詰まりを感じていた。
語形変化や中性名詞などの名詞に性があることなどでこれはちゃんと腰を据えて誰かと一緒にやらないと永久に初心者だぞという
気持ちを抱いてしまっていた。その際にこの記事を見てそういえばエスペラント語なんてあったな、ということを思い出した。
読書猿:ゆるふわポログリットに捧ぐブックリスト
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-389.html

 エスペラント語はいまだに普及率が低いため通信講座も非常に安価である。(初心者講座で一万円ほど)そして
文法が人工言語であるために非常に論理的である。加えて語源となっているのがヨーロッパ諸国の言語なのでこれを一つ
ある程度読み書きできるようになればほかの言語へのステップとして大きいものとなるだろうと感じたので早速
おすすめされていた本を読んでみている。

 さて、日本のエスペラントの現在の話である。
 残念ながら日本のエスペランティストエスペラント語を使う人)は高齢化が激しい。エスペラント大会の集合写真などを見ると白髪が目立つ
ことからの想像であるので実態と異なっていたら容赦願いたい。しかしもともと間口が狭いうえに
若者層がエスペラントを知るとっかかりがないのである。かつてはアニメ・ゲームなどでエスペラントの単語を用いたりしていたのであるが
近年は作詞者にもエスペラントを知る人がいないのかそれを見ることがすくなくなった。

 ここで問題となるのが若年層がエスペラントを勉強する意義があるのかどうかということである。
残念ながらエスペラント自体に意義はないだろう。海外でもエスペランティストは少なくなっていることにくわえて
日本のエスペラント団体が学ぶ意義をいまだに海外共通語であることと、文通相手が見つかること、切手収集に役立つことしか上げていない。
 残念ながらインターネット上の共通語が事実上英語になっている以上これらはもはや意義としては薄くなってしまっていることは否定できないのである。
根本敬のマンガのように「無駄だと思うだろ。でも、やるんだよ」という人間はそもそも千人に一人ぐらいしかいない。
 

 自分が読書猿の記事にも書いてあって深く同意したのはヨーロッパ系言語へのとっかかりとしての利用である。
エスペラント語は文法、単語が非常に簡易であるためことに加え語彙の元ネタがヨーロッパ系諸言語であるため共通の知識を使うことができる。
日本においてこのアドバンテージは非常に大きい。英語を経由するよりもドイツ語やスペイン語を習得する際においては簡便であること、
世界共通語としての自負からかエスペラントで書かれた他の言語の解説書なども充実している。そのためこれさえ覚えればほかの言語を容易に学べるのである。
自分が勉強しようと思った動機もまさにこれであり、文法書を読んでも非常にわかりやすいためにおすすめなのである。
 みんなでエスペラント勉強しようよ。

以上