論ずるに値しない。

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都知事選の感想

 大雪のなか、これまでかつてないほどの投票率の低さで東京都知事選挙は下馬評通り舛添氏の勝利で終わった。投票締切直後に
早くも当選確実のニュースが出たぐらいなのだから、圧倒的多数の都民の支持により選出されたものであろう。

 候補者の中に投票三日前になってやっと政策と公約がまとまったという候補者がいた。家入氏である。
 彼は「みんなで政策を作る」と称してひたすら意見を募った。一部の過剰にインターネットの発信力やブログが世界を
変えると思い込んでいる輩が熱狂的な支持をしていたが、結局はその影響力は彼の取り巻きだけであったであろう。
票田とあてこんでいた若年層の取り込みはタカ派田母神氏に流れてしまっただろう。

・みんなで政策を作ることを目標にするべきならその前に意見集約の仕組みを作るべきではなかったか。
 彼の政策目標はともあれ政策を都民の目線から集めるというのであるならばその集約先を明示し、それを集める仕組みを作るべきではなかったか。さらにいうのならばその集約された意見の中に明確に対立する二つの意見が存在する場合どのように意見を採用するのか、どう解決するのかというところまで明確化する必要があったであろう。意見を集める「だけ」ならば役所の担当部署が苦情や職務にあたることにより現状の問題点は把握しているはずなのだ。首長に求めるのは鶴の一声なのである。いかに問題提起を行っても内部の職員は「前例」と「他市の事例」がないものは絶対に動かない。それを打破するためには首長の一声が必要なのだ。

・敗因はマーケティング不足
 インターネットで商売している輩はとかく横文字を使う傾向がある。そしてよくわからない言葉の一つが「マーケティング」だろう。和訳すると「市場調査」がこれにあたるのだろうが、この重要性を何度も唱えたり我はその達人でございという顔をする人間もいる中で今回の惨敗はどのように説明するのか。素人でも日本人の国民性から責任を取りたがらないくせに、他の人間には指導力というか責任を取る姿勢を求め、そして責任をとるために行動して失敗したらその失敗を再起不能にするぐらいたたく。これは過去数回の国政選挙の動向をみればわかることである。つまり、真っ当に世相を読んでいるのならば首長は「みんなで話し合って決めようよ」という人間ではなく「おれはこう思うし、こうしたいと思うけどどう思う?」というタイプの政治家を好むということはわかるのである。それならばそれらしくふるまえばよかった。インターネットの力を信じるのであれば、インターネットでその考え方を発信するだけでなく質問に答えれば良かった。残念ながら当人は自分は神輿になればそれでよいと思っていたのだろう。彼を信じた人間の一票は死票になってしまった。

・やはり都知事選は希望があふれている
 とはいうものの、各種ソーシャルメディアを用いる選挙戦の取り組み方をここまで大規模に行える人間を立候補させるだけの魅力が東京都にあるということは地方に住む人間としては羨ましくてならない。インターネットに固執する人間が多く現場に立つことをおろそかにする候補者も散見されるが、これは今後選挙戦を戦うに当たって最適化されることだろう。
今回の選挙戦でがんばった候補者並びに彼らを支えたスタッフ、学生ボランティアのみなさまお疲れ様でした。